佃屋白魚の墓

「ごぜん上等すてヽこおどり」
1880年、歌川周重筆

明治の珍芸四天王(釜堀り・立川談志、ラッパ吹き・橘屋円太郎、ステテコ踊り・三遊亭円遊、ヘラヘラ節・三遊亭萬橘)と生人形・初代松柳亭鶴枝、朝三小僧・三遊亭朝三、佃屋白魚が描かれている。


白魚は佃島の名産と言われるが、隅田川やその上流の荒川、特に尾久が有名で、実は漁業権の関係で佃島の人は獲れなかったそうな。佃屋白魚はこの辺りの出身で事情を知っていたので芸名にしたらしい、と言う事だ(解説員によるとはっきりとは分かっていないそう)

で、この白魚、大変な大酒飲みで、横浜の万竹亭出演中、泥酔して梯子段踏み外し、転落死したそうな。
もしかして、最近お亡くなりになったあの方は、白魚の生れ変りだったのか??
白魚の墓は荒川3丁目の法界寺にあるそうだが、その墓石がなんともステキ!
酒樽の墓石の下に眠りたいとの遺言通り、1893年、落語家同志により四斗樽の墓石が造られた。

正面には銘柄のように「白魚」、左下には酒蔵元銘のように「伊藤」と刻んである。ここまでくれば、墓石周辺に置かれるものにもこだわりを見せたいもの。そこはさすがに大酒飲みの師匠の側で修行に励んだ弟子達、心得たもので徳利型の花立と盃型の線香立を寄進した。

何とも粋な話である。