自立した生活を奪うもの
ここの所、念願叶って、見逃していた映画を見る機会(『裁かるるジャンヌ』や『恐怖奇形人間』など) に恵まれていたが、本日も…
『FREAKS フリークス』デジタルリマスター版
全米から集められたスターたちの芸や当時の小屋の雰囲気を見たくて、この映画はずっと気になっていた。
(全米から「一人でテントを満員にできるだけのスター・フリークばかり」が集まったので、「みなスターだっただけに、お互いのエゴのぶつかりあいも並大抵のものでなかった」そうな *1)
中でも以前から噂に聞いていたランディアンの芸に釘付け!
プリンス・ランディアン
1889年イギリス領ギニア生まれ。手足の無いその姿から、”人間ブルドーザー”や”生きているトルソ”として人々に親しまれた。得意技は、口だけでタバコを巻き火をつけて吸うというもので、本作でもその神業を披露。1952年、妻と5人の子供たちに看取られ、63歳で死去。*2
彼らは芸や自身の容姿を見せてお金を稼ぎ生活していた。
(モデルも自身の容姿を見せてお金を稼いでいるのにね)
見世物は「差別」という観点から否定されがちだが、中途半端なヒューマニズム、還元すれば自己満足にしか見えない。自活の場・手段を奪ってどうようというのか?
自分の中の、彼らを見たくない、存在を認めたくないという感情を、「かわいそう」という言葉に変え、自分たちの視界から追いやっている様にしか見えない。その「やさしさ」の何たる残酷さよ。
見たくないなら、自分ひとりが見なければいいものを、ナゼニよってたかって潰しにかかるのか?
かといって、「障害者=純真」の図式も嫌いだ。
友人の韓国人留学生が、障害者の介護バイトをしている時、年配の障害者からよく「韓国人」と差別されたと言っていたっけ。
障害者にも悪人はいるし、意地悪もするし、性欲だってある。
この図式も結局は、存在を認めない人と同様、現実を受け止めようとはしていない。